子育て・教育

ちょっと寄り道

小野小町伝説の地、観音寺

観音寺薬師堂 外観
観音寺薬師堂

本寺は真言宗豊山派の寺で、瑠璃光山観音寺という。
寺伝では初め筑波山別当徳一によって、平安時代に尾の詰に開創されたが後に現在地に移された。
当寺蔵の鰐口(県指定文化財)には、観応2年(1351年)内蔵頭藤原国安の名がある。
境内には薬師堂があり垂木と梁の組み方に特殊の様式を持ち、県指定の文化財となっている。
平成10年に竣工した解体工事により、面目が一新された。
庭前にある小町桜は、小野小町が眼病を患い各地を流浪したが、この観音寺に百か日の参籠をし祈願したところ、全快したのでそのお礼にシダレザクラを寄進したという。
この寺は当初上戸の尾ノ詰(おのづめ)にありこの地名は小野小町が住んだ「小野住」が転じたものともいわれる。

※小町は、淳和・仁明朝に宮仕え、容姿が美しいばかりか平安時代の前期歌人として「古今集」に16首が入り「六歌仙」の一人。

二本松寺

観音寺 本堂
本堂

本寺は、天台宗の寺で羽黒山覚城院二本松寺というのが正式の名称である。
平安時代の初め、慈覚大師円仁によって茂木に創建されたと伝えられている。
その後島崎氏の初代高幹が、比叡山に模し、鬼門除けとして現在地に移したという。
境内を城郭とし島崎城第二の砦の祈願寺とした。
本尊は薬師如来座像で、秘仏として公開はされず桧材寄木造り、玉眼入り漆箔で作風から鎌倉時代末期のもので、県指定の文化財になっている。
同脇侍の日光、月光両菩薩は背面の刻銘から徳川光圀の寄進したものである。
これ以外にも島崎城主愛用の漆器食膳椀があり、美術工芸品として評価されている。

須田柿磨の句碑

須田柿磨句碑 権現山公園の風景
須田柿磨の句碑 権現山公園

行方郡の旧水戸藩領「潮来領」には十六ヶ村があり、村々に庄屋がおりその上に大山守がおかれて支配された。
それらの重役を幕末期に勤めた一人に、須田家9代の為則がいた。
藩主徳川斉昭の藩政改革に協力し、多大な貢献をしたことにより苗字御免は先代以来であったが、帯刀御免郷士列となった。
彼はまた俳諧を好み柿磨と号して「窓形集」等の句集を残し、さらに常総俳壇のリーダーとなって、多くの弟子がいた。
牛堀の三熊野神社境内には露よりも軽き手際や初桜他三句天保10年碑陰には桜の樹百本を権現山公園に寄付をしたと刻まれ、恒例となっている「桜まつり」の原点がここにあったことを示している。
また鹿島神宮の奥宮の前にも、芭蕉の句と対をなす句碑がある。
月花に和らぎし夜や常陸帯柿磨この松の実生へせし代や神の秋芭蕉鴬や神楽拍子になれて鳴く虎杖(柿磨の二男)

※「潮来領」・富田、清水、上戸、牛堀、永山、潮来、辻、大洲、延方、古高、矢幡、築地、堀之内、茂木、島崎、赤須

旧所家住宅

旧所家住宅の外観

潮来市日の出地区にある唯一の文化財で、昭和47年に茨城県桂村より譲り受けたものである。
この建物は、曲屋状の平面をもつ農家で、全国的にも珍しいといわれ、居住部と土間部を別棟とした分棟型民家の一例である。
6月のあやめ祭期間中の土・日には一般公開がされている。
昭和45年5月28日茨城県指定文化財となる。
JR潮来駅より車で10分。

徳島水神祭

徳島地区の水神祭

市無形民俗文化財になっている徳島地区の水神祭は、毎年旧暦の2月15日に行われる。
祭の起源は、寛文12年(1672年)の領地紛争の裁定までさかのぼり、以後300有余年、今日に引き継がれている。

 

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